伝統工法を次世代へ受継ぐ
建設産業は、長引く不況のあおりを受け、我々建設従事者にとって、たいへん厳しい時であり、明るい兆しも見えてこない状況です。
それに伴い、次世代を担う、若き職人の後継者不足も深刻な問題にたたされ、日本の伝統工法である木造在来工法などの技術の伝承が危ぶまれています。
そんな中、組合員の林徹さん(林建住宅?/代表取締役社長)はじめ、親子孫の三代で事業を営み、若き職人へ技術を伝える取り組みにスポットを当て、お話しを伺いました。
林建住宅(株)とは
【所在地】
愛知県小牧市。小牧城と県営名古屋空港の中間に位置し、広大な土地に四階建ての事務所や作業場・土場などがあります。
【社員】
全13名で運営しています。(男性10名・女性3名)
・会長/林 学さん 75歳(先代)
・社長/林 徹さん(長男) 48歳(2代目)
・常務/林 雄大(たけひろ)さん(次男) 45歳(2代目)
・社員/林直希さん(孫) 22歳(3代目)
先代
「物づくりが好きだから大工職人になりました。心底好きでなければやれないよ」と、優しい笑顔で話すのは、林建住宅?の先代である林学(会長/75歳)さんです。
この道60年になる学さんは、幼い頃から手先が器用で工作や絵を描くことがとても好きで、大工を志すようになりました。
親方の下を離れ、独立したものの、信用や実績もない、学さんには仕事がもらえなく、辛いときもありました。
何とか家族だけでも支えていかなければと、家族を思う気持ちだけで、無我夢中で働きました。
次第に、学さんの仕事ぶりや人間性が評価され、仕事の依頼がくるようになりました。
2代目 誕生
長年、社長として会社の運営に携わってきた学さんから、2年前、役員の交代をし、社長は徹(長男)さんになり、常務は雄大(次男)さんの兄弟2人が、学さんに代わり会社の指揮をとることになりました。
徹さんと雄大さんは「父が築いた、この工務店を一代で終わらせるわけにはいきません。私たち兄弟は、幼いながらも父が懸命に働いてくれたことを覚えています。仕事一筋の父でしたから、家族で出掛けたことはあまりありませんでした」と、語りました。
徹さんは、父が親方でありますが、仕事となれば、まったくの別人。容赦ない厳しい指導が始まります。
親方から決まって言われることは、「見て覚えろ」の一言のみでした。
雑役仕事が中心の辛い修業時代でしたが、いつか親方みたいな立派な大工になることだけを目標に必死に腕を磨きました。
時には、寝る間も惜しみ1人夜遅くまでカンナかけなどに没頭するときもありました。
若手ホープ 誕生
「大工職人となり、9ヵ月が経ちました。初めて手掛けた現場は一生忘れません。家は、何十年もの長い歳月の間、形として残り、お施主さんの家族に住んでもらえることが魅力です」と、少し照れながら話すのは、3代目になる直希さん(22歳)です。
4年間、他の業種に勤めた後、昨年の春から家族が営む林建住宅?へ入社しました。
「父や祖父の働く姿を幼い頃から見ており、いつか自分も父みたいな大工になってみたいと思い、この道に進みました。決して、父や祖父から誘われたわけではありません。私の意志です」
大工職人として、まったく右も左もわからない新米大工です。のこぎりやカンナ、ノミなど、見たことはあっても実際に使ったことなどありません。
連日、悪戦苦闘しながら、全てが新鮮で勉強の日々です。
親方の父をはじめ、祖父や先輩の職人など、全社員が先生です。恵まれた環境の中、猛勉強に明け暮れています。まだまだ、技術や経験不足ですが、やる気と大工職人を志す熱い情熱は誰にも負けません。
父や祖父から「大工をやりたければ、やればいい。しかし、やるとなれば甘い気持ちでは勤まらない。やると決めたなら、私たちも全力で応援する」と、言われました。
地道にコツコツと
林建住宅(株)は「きさくな会話の中から、まごころ生まれる家づくり」をモットーに全社員励んでいます。
また、アットホームな雰囲気の中、他社に流されないように、独自の方針を貫いています。
40余年積み重ねてきた、「正直・信頼・実績」を糧に小牧市内外を中心に、日本風土に適した純木造住宅から、モダンなセンスを取り入れた鉄骨造やRC造まで、幅広い年代に対応できるようにしています。また、経験豊富な施工者が、お施主さんの立場になって提案していきます。
その場限りの仕事ではなく、一生涯のお付き合いができる家作りを心掛けています。
また、迅速なアフターサービスはもちろん、施工中であっても変更工事ができるようであれば、できる限り応じています。
匠の技を守る
林建住宅(株)は、若手の育成にも積極的に取り組んでいます。
7人の弟子がおり、技術を習得後は独立し、それぞれ活躍しています。
また、「私たちが守り伝えきてた日本の四季に適した木造住宅の伝統工法を絶やすことなく、次の世代に伝えていくことが、我々に課せられた使命です」と、皆さん語っていました。
今日も、どこかの現場で親子孫の三代が振る金づちの音が高々と鳴り響いています。