特集 中村武司さん 愛知万博に続きジブリパークの建設に携わる

子どもたちが夢見る世界のお手伝い

 未だ収束の兆しが見えないまま月日が流れ、第八波に入った新型コロナウイルスに、昨年も脅かされた1年でした。ロシアによるウクライナへの侵攻・安倍元首相銃撃事件など、目を覆いたくなるような痛ましい出来事ばかりが起こりました。
 しかし、そんな暗い話題も吹き飛ばすかのように、昨年11月1日、愛・地球博記念公園にジブリパークが開園しました。この華やかな表舞台を陰で支え、建設工事(サツキとメイの家、地球屋、どんどこ堂など)を担った中村武司さん(57歳・建築大工・千種支部所属)を3年前の着工から開園までを取材しました。

ジブリパークの木造建築を手掛ける
 建築大工を営む家に生まれ3代目となる中村武司さんは、大学で建築を学んだ後、大工修行をする中で、金物に頼らない木の良さを極める伝統工法にこだわりを持ち始めました。
 今から18年前の2005年に愛・地球博(愛知万博)が開催されました。中村さんが先頭に立って大工集団・「五月組」を結成し、映画「となりのトトロ」で主人公のサツキとメイが暮らす家を造り上げました。


再び招集
 3年前、愛知県が事業主体として、スタジオジブリが企画監修のもと、ジブリパークが着工し、再び「五月組」が招集され、「サツキとメイの家」(どんどこ森)の改修工事や、映画「耳をすませば」の「地球屋」(青春の丘)、「どんどこ堂」などの新築工事に掛かりました。工期に間に合わせるため、正月三が日も休日返上で作業をしていました。映画の世界感を忠実に表現するため、寸分の狂いも間違いも許されません。厳しいお客様である子どもたちが言わば現場監督のようなものですから。
 愛・地球博記念公園には、映画「千と千尋の神隠し」のワンシーンを思わせるような、楼門を移築しました。昭和初期に建てられ、名古屋市中村区にあった「料亭 稲本」の楼門(稲楼門)は、赤のベンガラ漆喰の壁と中国風の反り屋根が特徴で、門の向こうの異世界に今にも招かれそうです。
 ジブリパークは開園して2ヶ月が過ぎ、とても大きな反響を呼ぶとともに、またたく間に人気スポットとなりました。


中村さんからのコメント
 手掛けたジブリパークの建物が愛知県、日本、そして世界中の方々に注目されることは、胸が熱くなるほど感慨深いものがあります。
 毎日、忙しく飛び回っていますが、現場の合間を縫って大学の教壇にも立っています。また休日は、子どもたちに木工を中心とした体験講座も指導しています。地元の保育園では、卒園制作を通じて子どもたちの創造性を養うお手伝いもしています。完成した時の子どもたちの表情が忘れられません。
 これからも、多くの子どもたちに木の温もりを感じてもらいながら、達成感を味合わせてあげたい。子どもたちの励みとなり将来への展望に繋がるからです。これが、私の使命だと思います。

中村 武司さん
ジブリパークに使う材料を削る中村武司さん

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